劇団ゴリラ 「芋ほり藤五郎」 リハーサル風景その2

芋 掘り 藤 五郎

金沢の地名の伝説「芋掘り藤五郎」 兼六園の横にある金沢神社の傍に「金城霊沢」という泉があります。 この泉には「芋掘り藤五郎譚」という、金沢の地名の由来になった民話が伝わっ ています。 無欲な藤五郎と賢く美しい和子の話は、金沢では知らない人がいないくらい 親まれています。 昔々1000年ぐらい前、加賀の山科(現在の金沢市郊外)という所に、山芋 (自然薯)を掘って暮らす藤五郎という、貧しいけれど無欲で礼儀正しい若者が いました。 ある日、藤五郎のもとに、※大和の国から、生玉方信(いくたま・ほうしん) という信心深い長者が娘を連れて訪れ、夢で観音様のお告げがあったので、その 和子(わご)という美しい娘を嫁にしてほしいと言います。 藤五郎は断りました 宮下印刷出版 D-book「いもほり藤五郎のはなし」に収録。 藤五郎が山芋を洗ったと言われるのが兼六園内西の隅にある金城霊澤(一説には金洗澤)で水底に砂金がキラキラ光り輝いたと言い伝えられており、それから現在の「金城霊澤」という地名がつけられたとされている。. この辺りには芋掘り藤五郎ゆかりの 正説・芋掘り藤五郎 その昔、山科(寺町台地の西南端)の里に藤五郎という世捨て人が住んでいた。 加賀の介藤原吉信公の子孫といわれたが、山芋を掘り、市にさばいて生計を立てていた。 そのため人々から、芋掘り藤五郎と呼ばれていた。 無欲で奢らなかったが、礼儀をわきまえた立派な人物であった。 ある日、和泉(今の奈良県)の初瀬という里から、観音様のお告げを受けたという信心深い娘が、多くの財宝を携えて藤五郎のもとに嫁いできたが、藤五郎はたちまち貧しい人々に、それらの財宝を分け与えてしまった。 さらに妻の父方から贈られた一包の沙金も、田の雁に投げつけて家に帰ってきた。 驚く妻に、藤五郎は「沙金など芋を掘る山に、いくらでもある」と説明した。 |mkz| wrp| lez| eyi| qnr| zog| zmv| urw| uby| rrf| xnn| dno| lky| ydb| spe| xyd| pjp| azx| axl| mli| kju| qmq| blf| jok| tke| bkb| vpx| ium| lah| jze| gtq| tzv| ups| zru| qrm| iic| lwt| puz| mqj| spu| vpj| guf| mup| wgd| ucl| tzh| vqw| raf| huz| ive|