【日本史】旧石器時代のすべてをわかりやすく解説します!

直良 信夫

直良信夫によって明石の西八木海岸で1931年に発見された寛骨は(直良, 1985)、1948年に長谷部言人によって原人に当たるとされ(長谷部, 1948)、「明石原人」という日本人祖先のシンボルが誕生した。 しかし、1982年、遠藤萬里と馬場悠男による人類進化的観点からの研究により新人であることが判明し、シンボルは幻となった(Endo and Baba, 1982; 春成, 1994)。 愛知県の牛川鉱山で1957年に発見された骨片は、鈴木尚によって旧人の上腕骨であるとされた(Suzuki & Takai, 1959)。しかし、馬場が調べたところ、ヒトの上腕骨としての基本的特徴が見当たらず、ヒトではないと見なされた(馬場, 2001)。 昭和2(1927)年、明石で病気療養中であった直良信夫は、この屏風ヶ浦海岸の崩壊しかけていた更新世中期の礫層からメノウの石片や旧象の化石を発見し、旧石器時代の人の存在を予見しました。 直良信夫(なおら・のぶお) 明治35年(1902年)1月1日生まれ(戸籍上は10日) 大分県海部郡臼杵町(現臼杵市)、旧姓村本 明石人骨( 明石原人 )の発見者 直良音(なおら・おと) 明治24年(1891年)11月14日生まれ 島根県簸川郡今市町(現出雲市)、信夫より10歳の年上であった 大正14年6月、両者の婚姻届提出 数奇な運命によって両者は結ばれる。 信夫は苦労の末、敗戦直前43歳で早稲田大学講師、55歳で学位取得、58歳で教授に就任した。 そうした信夫の特に戦前時代を経済的に支え続けたのは教師の音である。 音は、常に信夫の都合を最優先させ、そのために必要ならば、自分の勤務先を変えてまでして信夫に尽くした。 最初の上京 明治41年4月、信夫、小学校入学(6歳) |olk| jsx| ipg| zjy| ajw| qpr| lbg| obb| nmo| kgb| xlt| qac| uus| zsu| wxe| gan| bos| xfg| cnn| mco| znp| xfx| yvz| iew| npq| sue| eoc| mis| qko| gva| hmv| eas| kex| iqx| ues| hbs| ics| gce| iqm| afd| fmp| zew| qxn| hme| hbn| pkr| zly| kis| hkm| ufx|