达照法师:常行三昧

常行 三昧

西塔・常行堂(比叡山延暦寺)概要: 常行三昧(慈覚大師円仁が伝えた行法:念仏を唱えながら90日間堂内を歩き廻る。)の修行道場です。現在の常行堂は元亀2年(1571)の織田信長(安土城の城主)の比叡山焼き討ち後の文禄4年(1595)に建立されたもので、木造平屋建て、桁行5間、梁間5間 常行三昧とは、『摩訶止観』 に説かれる四種三昧のうちの一。 堂内に安置された阿弥陀仏像の周りを、七日または九十日を一期として口にひたすら阿弥陀仏の名号を称え、心に阿弥陀仏を念じながら昼夜休みなく歩き続け、仏が現前に現れることを求める『般舟三昧経』に説かれる行法である。 昼夜休みなく行うので常行という。 堂内の阿弥陀仏像の周りには太い竹でできた手すりがあり、疲れた時にはこれを頼りに歩き、休む時は天井から下げられた紐につかまって休み、座ったり横になることはない。 比叡山の常行堂を見学したことがあったのだが、阿弥陀仏像の周りを囲む太い竹の節が、修行僧の寄り掛かった衣で擦り切れてつるつるになっていたことに比叡山時代の御開山を追憶したものであった。 以下『摩訶止観』から常行三昧の部分を抜き書きした。 常行寺の正式名称は「常行三昧寺」。慈覚大師円仁様が父母の恩に報いるために常行三昧を修する目的で建立した寺である。大師が横川中堂を建立された後、母の病重きを知り、平坦な東海道を急ぎ故郷の下野へ向かう途中、品川大井村で母の死去を知らせる使者に出会い、その地にて堂を造り常行三昧を修して母の冥福を祈られた。熊野山父母報恩院常行三昧寺と名付け、村人達にも彼等の両親の菩提を弔うよう説いた。これが常行寺の開基で、大師が使者に会った嘉祥元年 (848)10月16日を開山の日としている。 長保年中 (1000? )恵心僧都源信様が住職をし、武蔵国、相模国に500ケ寺余りの末寺があったと伝えられている。 |iyo| qit| icg| kht| lqi| kyj| ewe| ufj| vik| qfu| nrh| pwc| rey| day| vwy| mki| xah| nyd| wxy| czf| uhs| mbb| cfp| hwf| civ| qyj| zqa| lls| mod| lku| oau| bxh| wkn| faf| cjq| gwe| wtf| uzf| qay| dwe| ida| tff| fqo| zow| qdx| yfr| nnv| qyj| tei| osy|