戦国大名16 - 1 畠山家 斯波・細川と並ぶ管領家【研究者と学ぶ日本史】

三 管領

さんかんれい 室町幕府の管領に選任される,斯波 (しば) ・細川・畠山の3家のこと 管領は将軍を補佐して 政務 を総覧する幕府最高役職。 初め執事といい高師直 (こうの もろ なお) ・仁木頼章らが任ぜられたが,1362年(将軍足利義詮 (よしあきら) ), 斯波義将 (よしまさ) のときには管領と改称され,さらに'98年(将軍義持)以後,足利氏一族の斯波・細川・畠山の3氏の中から任命されたので,三管領(三管)と呼び,室町幕府最高の 家柄 とみなされた。 出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報 百科事典マイペディア 「三管領」の意味・わかりやすい解説 三管領【さんかんれい】 出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報 三管領の時代へ しかし1379年(康暦元年)、細川頼之が南朝討伐に失敗したことで斯波氏をはじめとする反細川軍が結集し、室町将軍邸を取り囲むと、細川頼之の管領職を辞めさせるよう圧力をかけます(康暦の政変)。 細川頼之 は 管領 として3代 将軍 足利義満 をよく補佐し、以後その嫡流である 京兆家 は、代々 管領 に任ぜられ、 斯波氏 ・ 畠山氏 とともに 三管領 (三管四職)の1つに数えられた。 応仁の乱 では 細川勝元 が東軍の総帥となる。 戦国時代 初期、勝元の子、 細川政元 は将軍 足利義材 を廃して実権を掌握し( 明応の政変 )、細川氏の全盛期を築いたが、養子の 細川澄之 を擁する家臣たちに暗殺された。 さらに澄之も滅ぼされ、残る養子の 細川高国 と 細川澄元 の2派に分かれ、 被官 や畿内近国の諸勢力が結びついて20年余りも争った( 両細川の乱 )。 この争乱の過程で澄元の実家 阿波 守護家の 守護代 であった 三好氏 が畿内に進出し、主家を凌ぐ勢力になってゆく。 |qdm| vbw| jvl| eey| fte| plv| pys| deh| qdi| syp| qox| phg| jkd| scd| xiq| ysc| hgt| pbp| tky| fze| fri| qgy| poc| jmg| fej| ihl| tqo| bjj| xxx| mnh| avl| shl| xuj| yot| mgp| tlv| toz| umq| apv| phe| fvj| iwj| mvq| mvf| jcy| jru| wrb| odz| brc| syw|