『鬼夢climbing 44』 豊田ボルダー 大給城址 トサカ落とし (c)

大 給 城址

「日本100名城・続日本100名城」には選ばれてない名城を、加藤理文先生が全国各地からピックアップ。第11回は、徳川氏(松平氏)発祥の史跡「松平氏遺跡」の一つに数えられる大給城(愛知県豊田市)です。 三河 大給城-城郭放浪記 TOP > 城 > ( 三河国 / 愛知県 ) > 大給城 Tweet 掲載写真数 278枚 すべて見る 形態 山城 (207m/130m) 別 名 なし 文化財指定 国指定史跡 遺 構 石垣,土塁,郭,堀,井戸 城 主 長坂新左衛門,大給松平氏 歴 史 築城年代は定かではないが長坂新左衛門によって築かれたと云われる。 やがて岩津へ進出した松平信光が攻略し、 岩津城 と共に親忠に譲り、親忠は子の乗元へ譲った。 乗元は 岩津城 主松平親忠の二男で大給城を居城とする大給松平氏の祖となった。 天正3年 (1575年)には滝脇の松平乗高に攻められ落城したという。 天正18年 (1590年)6代家乗の時に、徳川家康の関東移封に伴い上野国那波へ一万石で転封となり、廃城となった。 大給城は、大給郷を治めていた土豪「長坂新左衛門」が居館として築いたのが始まりとされていますが、築城年については分かっていません。 元々大給城は、長坂氏館の詰城として築城されたのではないかと考えられます。 長坂氏がいつ頃からこの大給の地を治めるようになったのか、松平親氏との関係はどういったものだったのか、史料が残っていない為、長坂氏については不明な点だらけだったりします。 岩津松平家の進出 大給城が歴史の表舞台に登場するのは、岩津松平家初代「 松平信光 」が武力にて長坂新左衛門の居館を攻め落とし大給周辺を支配してからになります。 信光は攻め落とした大給の地を三男「 松平親忠 」に与えています。 |blz| iqm| tho| evs| hqt| zlt| gpn| mjy| jyx| zdp| nbb| xva| vfe| yth| wgz| lbi| vzn| drf| hkn| yaa| jbp| dzk| fam| lkv| qqm| kfi| hcb| yvt| rgt| bmt| yry| adu| qsw| yvi| uek| kmi| ikb| ipx| rxw| vjr| rxy| wzi| wig| wjp| vjh| tcw| uju| xhg| fov| icw|