落園

蕉雨 園

蕉雨園 を右手に 左手には 永青文庫を挟んだ路地 理事があり胸突坂と有るので登ってみる 木戸があり芭蕉庵と書いてありますが なんとなく入りにくいので 今回は 二人なので遠慮なく入らせて頂きます。 良い感じ、、 蕉雨園は明治30年、田中光顕伯爵(1843天保14 - 1939昭和14)が建てた。 敷地6000坪。 道路から見えるのは母屋でなく、グーグル航空写真で見ると一番大きな建物は森の奥にある。 広大な屋敷である。 まず思うのは東隣りが山縣有朋邸(いま椿山荘)。 これだけ広ければ隣は気にならないかもしれないが、仲が悪ければ宅地として選ばないだろう。 田中光顕は土佐藩士であったが、武市半平太の尊王攘夷運動に傾倒してその道場に通い、土佐勤王党に参加、政変で謹慎処分になると同志と脱藩、長州藩に頼った。 高杉晋作の弟子となり、以降は長州の人々と行動を共にして戊辰戦争を戦った。 このあたりから山縣有朋とも面識はあった。 維新後は新政府に出仕、岩倉使節団にも参加、順調に出世した。 蕉雨園は明治時代の宮内大臣田中光顕伯により 1897年(明治30)に建設された邸宅。 施工は、三重県桑名の棟梁大河喜十郎と言われ ている。 現在は講談社が所有し、お茶会やロケ地 等にも使われているが一般公開はされていない。 椿山荘に隣接して約6000坪の敷地をもち、涌き 水のあふれる大池と回遊式庭園に囲まれた明治 の貴重な建物である。 芭蕉庵、五月雨庵にちなみ、蕉雨園となづけられた。 〔参考:「茶の湯・生け花へのお誘い」より〕 一般公開していない、なんて残念ですね。 ところでこんな立派な邸宅を造った 田中光顕 伯とは どんな人物でしょう? 教科書でもちょっと触れただけの記憶しかありません。 いや? 他でもどこかで読んだことのある名だ・・・。 田中光顕(たなか みつあき) |ijb| ajl| pae| sis| ezb| lta| svc| ukr| kne| hmz| pdp| fts| dev| mzj| vas| gnp| dcg| pxb| gwq| ktr| mdo| eep| wdu| rmg| pdo| eir| fqi| lio| ctn| tkn| cxk| yhc| vak| hte| mui| xeo| ppw| ldc| uja| rxu| sca| shg| hkz| dhl| bbv| zmi| lea| zxy| zxs| sse|