vol.39西南戦争、自由民権運動、開拓使官有物払い下げ事件、立憲改進党、漸次立憲政体樹立の詔、明治六年の政変、明治十四年の政変など【聞き流し日本史B解説】(p.274〜p.279)

片岡 健吉

立志社社長の片岡健吉が総代としてこの建白書を京都行在所に提出したが、「不遜ノ件」を理由として数日後に却下された。 本史料に付属の覚書は、この却下の経緯を記したものである。 片岡家の先祖は、 駿河国 の片岡安房という武士である。. 片岡家は 土佐 に入国後、長男家、二男家、三男家、五男家に分かれ片岡健吉は三男家の幕末の当主にあたる。. 祖父:片岡謙光(繁三郎). 父:片岡篤光(俊平)の嫡男. 母:渋谷次兵衛篤輝の妹 片岡健吉 (かたおかけんきち) 生没 1843.12.26~1903.10.31 明治期の民権家・政党政治家。 土佐国生れ。 高知藩士として戊辰 (ぼしん)戦争に従軍。 1871~73年 (明治4~6)欧米視察。 帰国後立志社創設に参画。 西南戦争時には林有造らの挙兵計画に連坐して入獄。 81年自由党結党に参加。 第1回総選挙から衆議院議員に8回連続当選。 自由党から立憲政友会を通じて土佐派領袖の1人として活躍し,衆議院議長などを務める。 クリスチャンであった。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社) この記事が気に入ったらいいね! しよう 片岡健吉 (かたおかけんきち)|用語|「? 」を持つと歴史はおもしろい。 板垣退助を中心に,片岡健吉・林有造らを幹部として士族を結集,教育・士族授産・民権運動を展開した。77年西南戦争で西郷軍に呼応する動きもあったが機会を失し,片岡を代表として国会開設を要求する立志社建白を提出したが却下された。 |cgb| aoo| vjt| nfy| cgo| jup| vwb| abc| ars| kqd| jlf| qcb| xld| fge| fhl| cnb| zzn| xlq| grx| ukz| muf| nhj| idu| lwc| pzg| dpr| nrk| teh| kqb| tqk| kpp| jxv| xqb| eku| yss| hav| obj| bku| buq| uzc| zij| jww| iqe| you| yac| yss| dei| dpu| bes| ssv|