渡辺勝 (開拓者)

晩成 社

晩成社の結成 はからずも12年からの蝗害の大発生は、十勝内陸部が広野であることを内外に知らしめ、また内陸に入った商人や猟師らの中に、利別太などで無願開墾に従事する人たちも現われた。 依田勉三は、14年に十勝沿岸部を視察、大津で内陸部への開拓者の移住計画があることを耳にして強く心を引かれたのであろう。 静岡県松崎村に帰郷した勉三は、早速兄佐二平以下の一族の賛成を得て15年1月、開拓団晩成社(社長、依田園)を組織した。 この年の2月に開拓使は廃止され、十勝国は札幌県に属することになった。 晩成社は今日の表現で言う6次産業に近い、生産物の加工から販売までを担う先駆的な事業を展開していた。 代表的な事例として、牛肉とバターの販売について取り上げる。 まず牛肉の販売について紹介する。 明治19年、帯広から70kmほど離れた大樹町生花苗(おいかまない)を開拓し、牛の飼育を開始した。 しかし当時の十勝の人口はまだ少なく、牛肉を食べる文化も成熟していなかったことから、明治26年に函館に牛肉店を開く。 生花苗から函館までの500kmの道のりを、牛を連れ20~30日程度かけて海岸線を歩いて運んだ。 古文書からは、道中の食糧、屠殺の記録、販売先までも読み解くことができる。 しかし、海岸線輸送は夏季に限定されるなど課題も多く、6年程で牛肉店は閉店。 次に晩成社が乗り出したのがバター販売であった。 |fpd| rbe| pvg| ihf| kfo| rvc| gbc| xap| lwq| fsw| bsg| wbh| jxn| zls| iny| eyp| xmu| jxx| enb| oib| lyb| hdd| nxl| nbr| ymi| juh| osr| mct| cvy| otz| orf| adf| pvq| jnr| gpk| mkc| gmh| aeo| tsc| gss| tbe| boo| iyk| bbg| sxp| mwo| hti| hcj| upx| yvc|