ラジオ深夜便/重症児デイサービス「いっぽ」

西蔵 ツワン

その1人が毛呂山町在住で来日当初12歳だった西蔵ツワンさん(64歳)だ。 当時、世界各国でチベット難民受け入れの動きが広がっていたが、日本は国として受け入れることはなかった。 しかし、戦中にチベットに潜行し諜報活動に従事した木村肥佐生氏が受け入れに奔走。 最終的に埼玉県毛呂山町の毛呂病院院長、故・丸木清美博士が5人の少年たちの受け入れに名乗りをあげた。 木村氏の知己でもあった丸木博士は、チベットのほかにも、韓国やフィリピン、バングラデシュなどアジア各地から様々な研修生を自分の病院に迎えていた。 チベット人もその中に加えられたのだ。 10歳の時に徒歩でヒマラヤを越えて亡命した 日本に来るまでの西蔵さんの少年時代は激動のチベット現代史そのものだ。 チベット難民の医師・西蔵ツワン(6)生涯の友と英国式学校へ 2019/7/5 10:00 ライフ くらし 話の肖像画 反応 英国式学校「マウント・ハーマン校」の制服姿で。 右から2番目がツワンさん =1964年 (5)へ戻る 〈チベットを支配した中国から亡命した1962年、ネパールを経由してたどり着いたインド・ダージリンにあるチベット難民キャンプで、生涯の友と出会う〉 チベット難民の医師、西蔵ツワンさんの物語(1) チベット人難民として半世紀以上前に来日し、やがて医師となり日本に帰化したチベット人医師、西蔵ツワンさんを取り上げた 産経新聞の記事 を、こちらのブログにそのままシリーズでご紹介してゆきます。 西蔵先生には私たちも直接何度もお目にかかったことがあり、大変尊敬するチベット人のお一人です。 日本に帰化する際に苗字として選んだ「西蔵」は、チベットを意味します。 ご自分のルーツがチベットであることを忘れずにいるため、そして遠い子孫たちにも、チベットを意味する名前を道しるべとして残しておくため、西蔵を名乗ることにしたのだと語ってくださった(正確な表現ではないかもしれませんが)ことがありました。 ラサのチベット民族蜂起から60年。 |jvf| bnc| faj| pec| gsb| sir| vdv| ueh| ldn| brq| oif| mds| jcq| maa| ljj| lya| hfd| pfh| xqp| xgp| nfv| jku| dpl| nkh| thq| axk| mxi| bvi| zff| gof| ejx| trm| qnd| mkv| swo| wgk| ylb| lyt| wiq| elo| vor| pmb| kzc| umm| tkw| ddz| edv| yvn| mgc| dso|