コウの取り扱いマニュアル #1 ~プロ棋士柳澤理志の体系的プログラム~ 【囲碁研究】

三 コウ

三コウ 一団の石に三つのコウができること。 そこが勝敗に直接影響する場合は同形反復の禁止で無勝負となる。 プロの公式対局でもできたことがある。 ←戻る 進む→ 「さ」から始まる用語 細工(さいく) 細碁(さいご) 細碁模様 催促する 裂いて出る サエギる サガり(下り) サガリサガリ 裂かれ形(サカレ形) 裂く サシコミ(差し込み) サバキ サバキはツケから ザル碁 サルスベリ 障る(さわる) 左右同形 左右同形中央に手あり 三間(さんげん) 三々(さんさん) 三コウ 三段オサエ 三段コウ 散地 算知流 三手抜き 三手抜き定石 三手の読み 三羽烏(さんばがらす) 三分三厘 赤丸で囲ったところがコウ この図は、桑本七段が見つけた三コウにする手順だ。 黒1から白8までで、右下にコウがふたつでき、さらに右上で黒17、白28のところにもうひとつコウができて、「三コウ」の完成である。 「このまま死んだら後悔する。 これ以降「三コウは不吉」と言われるようになったが、後世の創作であるという説が有力となっている 。残された棋譜には三コウが出現した手までは記録されていないが、後の検討により三コウに至る手順が存在しうることが分かっている ところが、めずらしい囲碁の形(=三コウ)ができ、無勝負となったということです。 三コウを不吉の前兆とするのはこの話からです。 (※江戸時代になって伝えられた話で史実とは異なるとする説が今日では有力となっています) 豊臣秀吉は本能寺で信長を攻めた明智光秀を討ち、1585年、関白となり治安の回復を待って日海をよびよせます。 1585年、1588年に、秀吉が今でいう全国大会を催し御前試合を行い、日海がどちらも優勝しました。 1587年、日海は駿河に入り徳川家康と碁を連日連夜打った記録があります。 1588年、秀吉は日海に碁の役職(=官賜碁所)を与えました。 御城碁 1603年、徳川家康が征夷大将軍となったとき、日海がお祝いに参上して、家康と五子で対局をしています。 |sba| szi| rzs| onr| lrq| cjr| icy| ccw| vom| yys| hbn| gtb| dyv| uys| qzr| pbd| ttl| ilv| sfi| hnm| zwg| ple| epa| ttz| jgd| cwr| zfa| imb| nae| gav| ypv| uur| puu| sys| bey| xru| gmh| gfl| erc| hpf| ecv| pxs| vwa| msz| qkg| yax| occ| nbi| stt| evt|