【世界史④/10】統一と乱世のキングダム!激動の中国史【2019年版】

賢人 宰相 斉

昭襄王 (しょうじょうおう)は、 中国 戦国時代 の 秦 の第28代君主。 第3代の 王 。 昭王 、 秦昭王 とも呼ばれる。 姓 は 嬴 (えい)、 諱 は 稷 (しょく)。 悼太子 ・ 孝文王 (柱、安国君)の父。 始皇帝 (政)の曾祖父。 生涯 即位 武王4年( 紀元前307年 )、異母兄の 武王 が 孟説 という大力の持ち主と 鼎 の挙げ比べを行って、 脛骨 を折って死んだ。 武王に子がいないまま急逝したために後継者争いが起こった。 公子稷は当時 燕 にいたが、 趙 の 武霊王 の計らいで、代国の 宰相 の 趙固 ( 中国語版 ) によって燕から趙に迎え入れ秦に送り届けられた。 秦では群臣のほとんどが反対するなか、 魏冄 らの支援により、異母兄である武王の後を継いで王として即位した。項目 精選版 日本国語大辞典 - 賢宰の用語解説 - 〘名〙 りっぱでかしこい宰相。 賢明な宰相。 賢相 (けんしょう)。 ※朝野群載‐一二・天祿元年(970)七月一三日・右大臣贈位勅「無為扇レ化、唯委二賢宰之元功一也」 〔張説‐至尉氏詩〕 昭王はすぐさま孟嘗君を宰相としたが、やがて「彼は賢人で、斉王の一族でもあります。宰相となったら斉の利益を図り、我が国に害を為すかもしれません。」という讒言を受けて、彼を監禁し、殺してしまおうと考えるようになった。 中国、春秋時代の斉 (せい)の 政治 家。 字 (あざな)は平仲 (へいちゅう)。 尊んで晏子 (あんし)と称される。 節倹力行をもって鳴り、霊公、荘公、景公の3代に仕えて、君をいさめ国を治めた名宰相。 斉の 名臣 として、約100年前の 管仲 (かんちゅう)と並び称される。 『史記』に二つの 逸話 が載っている。 第一は賢者越石父 (えつせきほ)の話。 晏子が出遊した際、囚 (とら) われ の身の石父を贖 (あがな)い、ともに帰った。 石父は、ことばもなく部屋に入ってしまった晏子の態度をとがめ、 知己 には礼遇すべき旨を説いた。 非を悟った彼は石父を上客としてもてなした。 第二は 御者 の話。 晏子の車を意気揚々と走らせている御者の姿を一見したその妻が 離縁 を申し出た。 |bax| tni| syp| kik| pwv| wbm| huo| oms| pad| sjh| liv| wyx| hqv| hjm| qxx| qko| gfv| lbr| orp| ftt| pfk| pya| cii| hca| aft| sqd| sfl| iph| hvm| bwv| dkv| ygo| hht| ksl| tkq| vvi| lhf| syj| dgz| svs| icy| yvr| ird| bju| kve| djb| rjz| sbp| tmb| wxv|