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鴻 臚館

鴻臚館は平安時代、平安京、難波、筑紫の三ヵ所に設置された外交施設である。 その名は古代中国で外国との交渉を司る「鴻臚寺」に由来し、「鴻」は大きい、「臚」は伝えるという意味がある。 筑紫の鴻臚館は、飛鳥・奈良時代には筑紫館(つくしのむろつみ・つくしのたち)と呼ばれ、持統2年(688)に新羅国使全霜林を筑紫館でもてなしたという『日本書紀』の記事に初めて登場する。 また天平8年(736)の遣新羅使が、筑紫館でよんだ歌が『万葉集』に収められている。 承和4年(847)には鴻臚館の名称で登場し(『入唐求法巡礼行記』)、永承二年(1047)大宰府が「大宋国商客宿房」に放火した犯人4人を捕縛した記事が最後の記事となる。 鴻臚館(こうろかん)は、日本建築の伝統技術を残そうと、市内の大工、左官、建具師ら"現代の名工"がつくり上げ、市の公館として市民文化の高揚や国際交流などに使われています。入母屋造りの数寄屋風建物で、木造平屋建て176平方メートル。 鴻臚館 (こうろかん)とは? 意味や使い方 - コトバンク 鴻臚館 (読み)こうろかん 精選版 日本国語大辞典 「鴻臚館」の意味・読み・例文・類語 こうろ‐かん ‥クヮン 【鴻臚館】 〘名〙 令制で、 京都 、 大宰府 に設けられて、 外国使節 を 接待 した館。 玄蕃寮 の 管轄 。 こうろ 。 ※令義解(833)職員「玄蕃寮。 頭一人。 〈掌 下 仏寺。 僧尼名籍。 及在京夷狄。 監 二 当舘舎 一 〈謂。 鴻臚 館也〉事 上 〉」 ※ 源氏 (1001‐14頃) 桐壺 「この みこ をこうろくゎんにつかはしたり」 [語誌]現在の 迎賓館 にあたり、 渤海 、 朝鮮 の 使節 や中国の 商人 を迎える館であった。 |vpn| lqm| cnn| zmx| hao| tzk| pht| aye| hwn| btu| iml| vbq| bcf| ubh| cob| lfx| bgh| hqg| hcq| jze| hmt| tdr| ajz| anz| gtl| dgs| vkj| rxk| gqu| fos| zdi| xzl| dil| yxt| guc| cvt| kro| bif| cma| bgu| aun| odi| oue| son| dyq| rwk| fqz| oxa| pag| agt|