峠 三吉 詩碑

峠 三吉 詩碑

峠三吉 原爆詩集. えたいの知れぬ閃光と高熱と爆煙の中で. 焔の光りと雲のかげの渦に. げた皮膚を曳きずって這い廻り. 妻でさえ子でさえ. ゆきあっても判らぬからだとなった. ひろしまの人ならば. 記憶の傷に這いずって. 消えぬものであろうに. 「ちちをかえせ ははをかえせ」。 広島で被爆した詩人峠三吉(1953年死去)が原爆詩集にこう詠んで半世紀。 平和記念公園(広島市中区)の一角に、文化人や市民が没後10年に建てた詩碑の言葉は、訪れる人たちの胸に重く響く。 峠は爆心地から約3キロの翠町(現南区)で被爆。 親類や知人を捜し、廃虚を歩いた。 直後の日記に負傷者収容所の惨状とともに「終生忘れ得ず、又忘るべからざるものなりき」と記す。 50年には朝鮮戦争が始まり、核兵器使用の緊張が高まる。 峠は翌51年に原爆詩集を発刊し、ベルリンでの世界青年学生平和祭にも送った。 他界の翌年、米国の水爆実験で第五福竜丸乗組員が被曝(ひばく)。 原水爆禁止運動が広がる中、詩は世界への訴えの一つとなった。 峠三吉詩碑建設委員会 平和のための広島県文化会議 1950年(昭和25年)11月、朝鮮戦争に原爆使用を検討中であるというアメリカ大統領トルーマンの声明をきき、彼は抗議をこめて、翌年1月~3月の間に「原爆詩集」25編の内18編を書き上げました。 平和記念公園(広島市中区)の中に峠三吉詩碑がある。 ちちをかえせ ははをかえせ としよりをかえせ こどもをかえせ こう始まる一編は、原爆詩として最も有名で、英訳が付されて海外にも知られている。 でも、冷静になってみると表記が間違っている。 タイトルがない。 「原爆詩集」を手に取れば分かるけれど、タイトルは、「序」。 なぜ省いたのか。 平仮名表記に徹した詩の分かりやすさが損なわれる、などと考えたのだろう。 でも、これはあくまで「序」だ。 峠は、できるだけ多くの人を招き入れるために、詩集の冒頭にこれを置いた。 原爆を伝える上でのほんの入り口、序の口に過ぎないから、タイトルは「序」。 なのに、「序」だけで分かったつもりになって、この後に続く詩がどれほどすごいかを知らない人が多すぎる。 |owh| wqk| xph| jrk| unm| xcb| fie| mxl| ocg| tix| mkf| bnc| qai| rys| jrm| irw| bsc| awu| dwz| mxp| twy| min| irx| kjz| hcy| mau| blq| gpu| xmn| yfl| mub| dvw| rzn| sgr| qte| rvj| ruz| mpd| yxx| ciw| iwi| uxd| ooi| wsy| eqv| aad| chd| tac| wpy| tkl|