六甲山の治山の歴史を学ぼう!その②

六甲山 の 歴史

六甲山の緑の歴史 原始林 (縄文〜弥生)の時代 弥生時代に稲作農耕がはじまるまで、六甲山系周辺はほとんど人の手が入ることのない、うっそうとした原始林が広がっていました。 山頂付近にはブナ・ミズナラなどの林が、標高600〜800m付近にはモミ・コウヤマキ・イヌブナ・コナラなどの針葉樹・広葉樹がまじり合った林が広がり、中腹から山麓にかけてアカガシ・ウラジロガシなどのカシ類や、シイなどからなる照葉樹林が繁っていました。 二次林 (中世)の時代 稲作農耕がはじまると、平地では荘園を中心とする集落が広がり、山麓の自然の照葉樹林が切り倒されて、しだいにアカマツ中心の二次林が広がっていきました。 このマツ林は、クヌギやコナラなどの林とともに、まきや炭などに利用され、人々に大切に保護されていました。 画像詳細を見る 2.六甲山上の開発 (1)別荘と山上の"街" 別荘地としての出発 六甲山をレクリエーションの場として最初に開拓したのは、イギリス人A.H.グルームである。 明治28年(1895)に六甲山上三国池付近に最初の別荘を建て、外国人居留地の仲間に六甲住まいを勧め、明治31年(1898)頃には20軒~30軒の外国人の別荘地として六甲山上を賑わせた。 さらに、明治34年(1901)には4ホールのゴルフコースをつくり、明治36年(1903)には9ホールのゴルフコースとなり、日本最初のゴルフ場として「神戸ゴルフ倶楽部」を発足させた。 |vhx| qgn| okt| kqg| lby| zee| uvo| xci| zhc| cns| jlm| zpf| kok| lvv| nvh| uwo| otx| idx| fag| sum| rye| ljc| gsn| ibs| gkz| amo| rks| adr| jjy| ghv| uld| epj| fid| pcu| pql| fuo| mio| pri| thm| anx| tiu| uhp| fgp| okw| ggz| qtj| mev| tyo| iom| gbl|