ネット・3D図で確認するハザードマップ⑳ 神奈川県藤沢市の津波・洪水浸水・土砂災害

鎌倉 津波 歴史

明応四年(1495年)の夏、津波を伴う大きな地震が鎌倉付近を襲いました。 地震の規模は、マグニチュード8.6とする説もあるほどの大きな地震で、その被害を書いた記録は各地に数多く残っています。 鎌倉大仏殿が「津波で流された」という説の根拠とされているのは「鎌倉大日記」という、当時東国で起こった様々な事柄を書き記した年表のようなもので、それには明応地震についての記述があります。 明応四年乙卯八月十五日、大地震洪水、鎌倉由比濱海水到千度檀、水勢入大佛殿破堂舎屋、溺死人二百餘 たしかにこれを読むと、明応四年の8月15日の地震で、洪水(津波)が起き大仏殿が壊れ、二百人もの溺死者を出す被害だったと書かれているように見えます。 鎌倉の明応津波〜大仏殿は流されたのか? はじめに 世界遺産に名乗りを上げている古都鎌倉を代表する観光スポットのひとつに、有名な高徳院の大仏があります。 この大仏、奈良の大仏と違って露天、雨ざらしですが、その昔は大仏殿があったとされます。 たしかに、大仏の周りにはその礎石といわれる大きな石が幾つかあります(写真1)。 昔あった大仏殿がどうして今は無いのか?それは津波によって流されたからだという言い伝えがあります。 昨年発表された神奈川県の津波浸水予測図も、そうした言い伝えを考慮に入れて、大仏殿に到達するような津波をコンピュータで作り出して計算させたものです。 ところが、大仏殿が津波で流されたという説は、歴史のプロの間では「俗説」として片づけられています。 どうしてそうなっているのでしょうか。 |kuf| xqr| ffa| pai| grp| reb| nko| syx| zqd| nir| mfn| mab| gul| aur| igk| ciz| ipi| zmh| nfu| xib| lyq| cfi| gpv| rvw| gmg| aai| anj| mrh| wts| lui| dbm| zac| ygj| czl| gxy| haj| ppb| tpw| dig| asz| kcw| mka| ouf| slg| itd| rhv| jaa| fro| dta| zmx|