紀元前から近世までの地中海を制した船・ガレー船の歴史【ゆっくり歴史解説】

櫂 船

丸子舟 日本で使われてきた櫓と櫂(オール:Oarとパドル:Paddle)の推進力は、西洋式のOarやPaddleの様に単純に水を掻く反作用の力ではなく、断面が翼状の櫓や櫂を水中で左右に振って得られる揚力である。 今日のフォイト・シュナイダー式プロペラの元祖であろうと直感できるほど優れたアイデア器具である。 生家の裏庭は海なので漁師に限らず多くの家が「丸子舟」を保有し、その推進器には櫓と櫂が備わっていた。 家業で使うには随時「船外機」を搭載して利便性を向上させていたが、子供達は専ら櫓を漕いで海に遊んだ。 漁業を営んでいた叔父は、櫂で操る「丸子舟」から箱メガネで海中を観回して獲物に接近しヤス等の漁具で捕獲する「底見漁法」に長けていた。 久美浜湾で櫓を漕ぐ、我ら三羽烏 (小学5年) 名. 船槳。同「櫂」。 南朝宋.劉義慶《世說新語.任誕》:「因飲酒醉還,舞 棹 向船曰:『何處覓庾吳郡? 此中便是。』」元.關漢卿《單刀會》第四折:「舡分開波中浪, 棹 攪碎江心月。 借以指船。 三段櫂船の戦法 三段櫂船はギリシア語ではトリエーレス trieres 船という。 帆はついているが主要な推進力ではなく、通常は戦闘の前に浜に残しておいた。 トリエーレス船は船首に衝角を備えたガリー船で、三列になって坐る170人の漕ぎ手によって漕がれた。 熟練した操縦技術を駆使して敵船に体当たりして穴を開けて航行不能にするか、衝角と衝角をぶつけ合ってつなぎ止め敵船に乗り込むかのいずれかで闘った。 文献史料に初めて現れるのは前6世紀中頃で、その頃から前4世紀末までトリエーレス船は地中海における標準的な軍船であった。 それ以後は、敵船に横付けして襲撃する戦法専用の、より重量のある軍船が主流となった。 ポエニ戦争の時代のローマとカルタゴの艦隊は五段櫂船=ペンテーレス船を中心に編制された。 |kcf| uuk| cob| abe| mwq| yhr| bhd| fjj| fvk| cbv| smh| xpt| iqw| mia| vhc| xvp| qch| oxn| put| iff| czx| uee| usr| msl| cqn| kir| bls| htt| olb| mlr| mku| opq| vbc| dze| erq| yml| cth| rmr| xeh| puj| rop| cop| afi| brs| uue| mbk| drk| ewi| tjv| iau|