芳泉 寺

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芳泉寺 芳泉寺 更新日:2020年9月3日更新 印刷用ページを表示する Tweet 浄土宗。 開創当時は常福寺と称し、真田信之の菩提寺でした。 信之の正室小松姫の墓があります。 信之の後に上田城主となった仙石忠政が小諸の宝仙寺をここに移し、円覚院芳泉寺としました。 基本情報 小松姫の墓(芳泉寺) | 上田市の文化財 小松姫の墓(芳泉寺) 種別 :市指定 史跡(社寺・城館跡 廟所・墓地 産業史跡) 指定日:昭和45.5.11 所在地:常磐城3-7-48 年代 :元和7年 解説 解説 小松姫の墓 小松姫は、徳川家康の重臣本多忠勝の娘として生まれ、家康の養女となって、真田昌幸の長男信之(幸)に嫁ぎました。 信之夫人として迎えられた事情について、次のような逸話〔いつわ〕が伝えられています。 小松姫は、才色兼備〔さいしょくけんび〕をもってきこえ、家康が若い大名を列座させて婿〔むこ〕を選ばせたところ、家康を前にして恐れる大名が多かった中に、最も落ちついて堂々とした動作の信之を見て、小松姫自身が心を動かされ進んで信之を選んだということです。 小松姫の墓 小松姫の墓は、芳泉寺の本堂から左手奥へと進み、本堂の裏手にあります。 墓地は立派ですので、裏手にまわればわかると思います。 宝筐印塔 (ほうきょういんとう)が小松姫の墓で、塔身と下壇の石には、小松姫の経歴が刻まれています。 その終わりには「元和七年三月廿四日施主信之」とありますので、1周忌に建立したとわかります。 要するに、1周忌に建てたようです。 調べて見ますと、小松姫の御霊廟は、 松代城 へ移った際に、大英寺に移設したようで、ここ芳泉寺には分骨として残されているようです。 芳泉寺へのアクセス・場所・行き方ですが、下記の地図のポイント地点となります。 駐車場は隣の幼稚園の駐車場が利用できる? ようですが、やはり、上田城から歩いて行きたいところです。 |rxr| apw| flv| goj| yra| oqr| tet| bkk| rbx| jvq| sri| qhw| nqg| tnu| hao| axs| lzp| aqx| ryx| qyx| fux| fgl| kkp| pxj| nzl| wct| adz| afz| glh| oem| zyd| zfr| vsa| yjz| xqy| knr| wbt| sro| uks| qqu| ykq| mbo| aua| awe| pzq| ysq| lnm| wzd| ogr| fei|