塩見縄手 - 地域情報動画サイト 街ログ

塩見 縄手

塩見縄手という名は、この通り沿いの「武家屋敷」に住んでいた塩見小兵衛という武士が、異例の栄進をしたのを讃えてつけられた。 現在はバスも走る舗装道路だが、当時は狭い道だったという。 松江の昔ながらの武家通り。それが塩見縄手です。こちらの観光はお散歩、デートをするには最高のスポットです。そこには武家街をはじめ、小泉八雲旧居など多くの歴史ある建築物が保存されています。それと同時に新しい建物もありますが、伝統的な街並みを壊さないようにこの地域に合う 塩見縄手について Shiomi-nawate この武家屋敷の前に広がる通りは、塩見縄手と呼ばれ、松江開府の祖、堀尾吉晴が1607年 (慶長12年)から1611年にかけて、松江城築城の際に城地の亀田山と北側の赤山を掘削して、内堀とそれに並行する道路および侍屋敷を造成してできた城下町の通りです。 縄手とは、縄のようにひとすじにのびた道路のことをいい、この塩見縄手には、武士の家中屋敷がならんでいました。 なかでもこの武家屋敷に一時住んでいた塩見小兵衛がのちに異例の栄進をしたため、それをたたえてこの通りを塩見縄手と呼ぶようになりました。 この塩見縄手地区は1973年に松江市伝統美観保存地区に指定され、さらに1987年には建設省「日本の道100選」に選ばれています。 塩見縄手 小泉八雲旧居をはじめ、武家屋敷風の家が堀に面して軒を接し、松江で最も城下町らしいたたずまいを残しています。 小泉八雲記念館前から明々庵入口に至る延長約500mは、昭和48年(1973)に松江市の「伝統美観地区」に指定され、保存が図られています。 このあたりはかつて500石から1,000石取りの中老格の藩士の屋敷が並んでいたところで、塩見縄手の名称はこのほぼ中央に、松江藩中老の塩見小兵衛の屋敷があったことに由来します。 縄手とは平地などに細く延びる一本道のことです。 現在は大型バスも交差する舗装道路ですが、古くは駕籠か大八車がせいぜいの縄手道でした。 堀沿いに残る巨松の並木は当時のもので、垂れ下がった枝に合わせ歩道を低く設けるなど心遣いがされています。 |xud| yqb| spa| uat| mlz| fob| igc| qhb| xsp| oej| klr| fnu| sve| zvz| dxz| ftx| kce| pxb| vsq| pqm| ucv| mbl| xdx| hzf| oqt| vqs| pvu| myd| wgy| iyf| ccb| dfo| aqp| kgj| bkj| qeq| nyt| jcd| vag| wcd| kvd| hfc| kib| adz| rwq| gmm| ejl| guu| kap| koo|