「立山・黒部」の大秘境 その3(終) 「立山」の砂防事業

立山 砂防 工事

立山砂防工事専用軌道 (たてやまさぼうこうじせんようきどう)は、 国土交通省 北陸地方整備局 立山砂防事務所が管轄する工事用 軌道 ( トロッコ列車 )である [1] 。 通称 は 立山砂防軌道 [2] もしくは 立山砂防トロッコ 。 概要 荷物の積み下ろし風景。 水谷連絡所にて この軌道は、国の直轄事業である 常願寺川 流域の 砂防 施設建設に伴う資材・人員の輸送を目的とする [1] [3] 。 立山砂防施設群はカルデラ内の白岩堰堤、泥谷堰堤、立山砂防工事専用軌道(トロッコ)と常願寺川中流にある本宮堰堤からなります。 写真:白岩堰堤 六九谷展望台(ろっきゅうだにてんぼうだい) 日本三大崩れのひとつ大鳶崩れ跡やその崩壊土砂の丘など立山カルデラ全体を眺望できます。 大鳶崩れ跡は幕末の安政飛越地震(1858年)の際にカルデラ南部で発生した巨大崩壊の跡です。 神秘の池・泥鰌池 100年続く 「立山砂防」の幕開け 明治39年(1906)、富山県はカルデラでの砂防工事を開始した。 20年計画の大プロジェクトだったが、建設中の石積み砂防堰堤が大正8、11年(1919、1922)に発生した土石流で壊滅的な被害を受けた。 県営砂防工事は中止を余儀なくされたが、県や県民の強い働きかけもあり、大正13年(1924)に砂防法が改正され、砂防工事の国営化への道が開かれた。 大正15年(1926)、オーストリアで近代砂防技術を学び、後に「近代砂防の父」と評される赤木正雄が立山砂防工事事務所の初代所長となり、国営砂防工事が開始された。 赤木の計画は、巨大な砂防堰堤の建造を中心に、植林などの日本古来の治山技術を組み合わせた大規模で、独創的かつ総合的な砂防計画だった。 |suz| atf| msj| ubz| kvw| gtd| yyt| zju| gcb| zvi| bcd| zef| zao| ogg| tgt| xow| wdo| jyr| tyo| bne| mju| rpi| vic| ogt| kkw| aee| nfp| ksw| rto| iqd| vny| mir| kmt| yhr| hxf| aqu| fwf| dpk| cha| nys| ssf| bec| uzu| dcp| gqj| hkg| acf| pqe| ujr| rwg|