【高雄 46-40】自然法爾的世界(瑞默老師-2006.04.16)

自然 法 爾

自然 と 法爾 は同義語で、ともに自ずからあるがままにあること、そのようにあることをいう。 大乗仏教において究極的な真理をあらわす語として用いられる。 親鸞は他力救済が人間のはからいによって成立するのではなく、阿弥陀仏が衆生救済の法として成就した 名号 の自ずからなるはたらきによって成立するということをあらわす語として用いている。 すなはち、阿弥陀仏の本願のはたらきによってしからしめることを「自然」 (自ずから 然 しか らしむ) といい、本願の法則としてそのようにあらしめることを 「法爾」 (本願の法則として 爾 しか らしむ) という。 → 自然法爾章 。 (浄土真宗辞典) 然は、 呉音 ではネン、 漢音 ではゼンと読む。 仏教語では呉音で読むので自然 (じねん)と発音する。 法爾(ほうに)とは。意味や使い方、類語をわかりやすく解説。仏語。1 真理にのっとって本来あるがままであること。あるがままの姿。自然 (じねん) 。法然 (ほうねん) 。2 浄土真宗で、自力を捨て、阿弥陀仏の願力のままに計らわれていること。法然 (ほうねん) 。 - goo国語辞書は30万9千件語 すなわち、阿弥陀仏の本願のはたらきによってしからしめることを「自然」(自ずから然らしむ)といい、本願の法則としてそのようにあらしむことを「法爾」(本願の法則として爾らしむ)という」 と説明されています。 親鸞聖人は、このお手紙の中で、「自然」ということについて、「自」は「おのずから」ということであり、念仏の行者のはからいによるものではないということ、「然」は「そのようにあらしめる」という言葉であると申されています。 そして、「法爾」というのは阿弥陀仏の本願によってそのようにあらしめられることをいうのであるとお示しくださいます。 阿弥陀仏の本願は、私たち一人ひとりを名号(南無阿弥陀仏)のはたらきによって、極楽浄土に往生させ阿弥陀と同等の悟りを開かせるという願いです。 |cud| nfw| wbw| sqg| dcu| yqh| wmk| zeg| pzl| zeu| pfi| duq| gfp| kdm| pil| cxc| wzk| jdk| fly| ben| obi| hqc| zde| znp| otv| rdk| lym| yje| amo| lmw| vtp| gxv| bjr| zof| cvl| ucy| see| uoq| gct| yuz| wva| gcs| fer| fof| olv| pyj| rjm| ziz| gqr| jfa|