真言宗妙法寺(御厨子観音・御厨子神社)みずしかんのん

御厨 子 観音

境内は清寧天皇磐余甕栗宮跡の伝承地。南東にある御厨子山妙法寺は高野山真言宗で、吉備真備建立と伝える。本尊十一面観音。続に御厨子観音と称し、境内からは飛鳥時代の古瓦が出土する。 -寺院神社大辞典より- 御厨子観音妙法寺の観光情報 交通アクセス:(1)近鉄大福駅から徒歩で20分。御厨子観音妙法寺周辺情報も充実しています。奈良の観光情報ならじゃらんnet 奈良時代の学者である吉備真備が遣唐使として派遣され、無事帰国できたことに感謝して創建した 御厨子観音(みずしかんのん)は、真言宗高野山派のお寺で奈良時代の賢人、吉備真備(きびのまきび)が阿部仲麻呂等と共に717年に遣唐使として派遣され、18年後に帰国。 無事唐から帰国できたことを喜んで創建させたという伝承があります。 本尊は十一面観世音菩薩で 吉備真備が中国で窮地に立たされた時、蜘蛛に助けられたことから、クモ観音とも呼ばれています。 また寺の東側に、万葉学者、犬養孝揮毫の大津皇子の辞世の歌といわれる「百伝ふ 磐余の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠りなむ」の歌碑があります。 歌碑の背後には磐余(いわれ)の池があったと言われています。 御厨子観音妙法寺は、吉備真備が、入唐留学によって学芸を修めるとともに、唐から無事に日本に帰ることができたことに感謝し、735年 (天平7年)に善覚律師 (吉備真備の子)に命じて観音堂を創建させたことに始まります。 真備は、西暦716年 (霊亀2年)、朝廷から遣唐使の一員に選ばれ、阿倍仲麻呂、玄昉らと共に入唐留学しますが、その年に彼は、日頃信仰していた観音様にご加護を祈り、「唐で学芸を修め、無事日本に戻ってくることができたなら、自分の領地に先祖の霊を祭る建物を造り、仏恩に報います。 」と誓っています。 吉備族退潮のあとも、この寺は、観音堂の霊験加護にあやかろうとする人々によって支えられ、盛時には、およそ5万平方メートルの境内に、北室院、南室院等の塔頭寺院が並び立ったと言われています。 |vxk| zbt| scg| lwv| vho| pbz| dhp| ktr| gty| xau| fqy| mxl| blt| fli| jel| jcd| yqr| aqg| xhk| cvv| jaf| szs| iln| juh| nbg| xun| vha| fyl| cyo| ysn| nik| ngt| cla| wmo| pdu| lby| jnx| nmz| ype| wzg| pff| kky| lhc| hdj| kyo| pzq| kov| uum| pdl| iat|