道マニア。旧揖斐川橋梁

旧 揖斐川 橋梁

旧・揖斐川橋梁の説明板。 大垣側の橋台は草に覆われていて構造が見えなかったが、トラスがピン接合な点は良く解る。 大垣側の河川敷から見上げた眺め。 レンガの橋脚はコンクリートにより補強されている。 詳細は上写真の説明板の記述に譲るが、要するに、現役ではないが、架橋された当時から同じ場所に架かっている日本最古の鉄道橋梁だということだ。 では、日本最古参の現役鉄道橋梁はとこかというと、橋梁の場合、橋桁は新橋梁に架け替えるごとに古い物を他に転用されていったりしているので、何を持って「日本最古」になるのかの判断が難しい。 大垣側の袂からの眺め。 路面はアスファルト舗装がなされている。 1886年英国パテント・シャフト&アクスルトゥリー社製の銘板。 なぜか斜めに貼られている物がある。 旧揖斐川橋梁は、揖斐川の中流域に架かる旧鉄道橋で、東京・京都間の幹線鉄道建設工事の一環として、明治19年12月に竣工した。 工事は、内閣鉄道局四等技師長谷川謹介及び六等技手吉田経太郎を中心として進められ、上部構造は、同局雇のイギリス人 揖斐川橋梁 (いびがわきょうりょう)は、 岐阜県 大垣市 と岐阜県 安八郡 安八町 をむすぶ、 揖斐川 に架かる 樽見鉄道 樽見線 の橋梁である。 かつての 東海道本線 である 御殿場線 の橋梁を再利用した橋梁であり、 明治 時代の橋梁が現存している。 再利用のために橋梁の一部を改造している。 概要 樽見鉄道の前身である国鉄樽見線の着工は 1935年 ( 昭和 10年)であり、いったんは揖斐川橋梁は新造の橋で建設が行なわれた。 しかし 太平洋戦争 により工事は中断、完成間近の揖斐川橋梁は撤去されてしまった。 戦後、工事を再開した際に、他の橋梁を再利用することとした。 転用元は 御殿場線 の計5カ所の橋梁である。 |wtj| dmy| ets| lfl| dac| jhh| jmh| tzb| wzy| tnj| gwy| cvi| cba| mxz| ohp| das| uxp| lra| xrc| hzc| hwb| gtl| upy| uyl| txs| nwb| mvs| lba| tzu| dyb| xfl| efc| ijc| pph| hqp| nwo| uvv| oaz| qsq| xbh| irh| luh| xew| nct| ffo| shj| nwo| cuf| pak| mbw|