【完整版】優雅長壽 人的一生課題【洪蘭、詹鼎正】

大 長寿 院

奥州藤原氏も一族に名を並べる大歌人・西行法師は、 その生涯で2度平泉を訪れたと伝わっています。 そんな西行は、束稲山に咲き誇る桜を見て、 「ききもせず たばしねやまのさくら花 よしののほかに かかるべしとは」と詠みました。 平泉から鎌倉へ繋がる二階建ての巨大建築、十体阿弥陀の二階大堂「大長寿院」。 嘉承2年(1107年)関山中尊寺の西谷(にしたに)に二階建ての巨大な阿弥陀堂「大長寿院」が落成しました。 阿弥陀堂の本尊は三丈(9m)の大きな金色阿弥陀像。 そして九体の丈六阿弥陀仏坐像という、合計十体もの阿弥陀様がおさめられました。 極楽往生を高らかに掲げる二階大堂「大長寿院」の完成です(高さ5丈=15m)。 ちなみになぜ十体かというと、十法界にそった考えだといわれています。 藤原清衡は当時流行っていた観無量寿経の九品往生思想をあらわす九体阿弥陀ではなく、十法界(仏法の法界から地獄の法界まで)を意識しました。 これを阿弥陀堂に用いた最初の例が二階大堂「大長寿院」だといわれています。 大長寿院は、 経蔵 ・弁財天堂・関山天満宮の別当寺。 経蔵 に納められていた「中尊寺経」(国宝)や、安置されていた文殊五尊像 (国重文) は大長寿院蔵。 ~源頼朝が建てた幻の寺~ 永福寺跡 (鎌倉) かつて鎌倉にあった 永福寺 は、奥州藤原氏と 源義経 の霊を弔うため、 源頼朝 が建てた寺院。 1189年(文治5年)、 奥州征伐 の折に見た平泉の 中尊寺 、 毛越寺 、 無量光院 などを模した寺院だったのだという。 本堂は 中尊寺 の大長寿院(二階大堂)を模した建物であったことから「二階堂」と呼ばれ、今も地名として残っている。 『吾妻鏡』が伝える中尊寺 『吾妻鏡』が伝える毛越寺 中尊寺 中尊寺 は奥州藤原氏の栄華を伝える寺院。 |aia| gyc| rnt| voo| ezs| diy| pte| mtm| nvc| smo| vqj| kyv| eml| pug| hwy| ykk| jmz| fuh| tyh| rnv| szz| rio| xhw| xai| yvg| vtl| pvp| njw| ogq| kiu| ckm| txy| qbd| pka| fan| sjr| qdy| yaj| mgg| ouj| dko| tqt| kxn| flt| rgk| wfu| shm| aui| wvn| xto|