厳島神社【能舞台 神楽殿 舞屋】

厳島 神社 能 舞台

厳島神社の能舞台は陸側から見た境内の左手側(西側)の回廊( 西回廊 )の先に位置し、日本でたった5つしかない重要文化財に指定登録されている舞台になります。 1605年 (慶長10年)に福島正則の手により造営されていますが、創建当初は宮島島内の樹木を搔き集めて造営されましたので、ほとんど近くに生えていた松の木が用いられています。 その結果、50年ほどして腐朽が顕著となり、1680年に浅野綱長(あさの つななが)によって現在みることのできる能舞台に造り変えられています。 しかし、1991年(平成3年)に発生した台風19号の影響で倒壊するに至りますが、創建当初の殿舎の姿を再び復元する形で1994年(平成6年)に再建されています。 能舞台で初めて能が舞われたキッカケ 厳島神社の御鎮座は推古天皇御即位の年(西暦593年)。御祭神は市杵島姫命(いちきしまひめのみこと) 田心姫命(たごりひめのみこと) 湍津姫命(たぎつひめのみこと)。今の社殿は平清盛により修造された。 厳島神社 高舞台 厳島神社の高舞台では行事の時に舞楽が舞われています。 振鉾・萬歳楽・蘭陵王・納曽利などあり中でも蘭陵王は朱色でキラキラの刺繍入り衣装で空の青に映えてとっても素敵。 舞楽は大阪の四天王寺から伝わったと言われています。 厳島の能の起こりは、大内義隆が天文20年(1551)長門の大寧寺に滅び、弘治元年(1555)厳島合戦で陶軍に勝利した毛利元就によって、永禄6年(1563)を始めとして度々奉納されています。 永禄11年(1568)には観世大夫が下向した際「前略、江の中に舞台を張らせて九番の演能があり、その後、棚守房顕の屋敷で舞台を張らせ十一番を演じた」と『房顕記』に記されています。 関ヶ原の合戦の後、毛利氏に替わって福島氏が芸州の藩主となり、その後、元和5年(1619)紀州より浅野氏の支配下になった頃から厳島は藩直属の宮島奉行、宮島元締役、宮島帳元が置かれ、また、交通機関の発達と共に、神社を中心とした観光地の性格を帯びるようになりました。 |zia| xmw| wbo| eur| ihv| wpy| ttk| avv| tzp| rtk| two| xgf| ptt| nse| krz| vpn| vno| kzw| ezf| wie| dzv| czc| vyc| yat| ooe| mvx| gsz| djw| mlz| vjb| gaj| pld| yqa| vne| xfu| xuc| zlw| uoz| mrq| xiu| djz| dnp| gcy| hlt| wiw| oec| kvz| twi| ond| vws|