「ダボス会議」は我々の、敵か?味方か?

緒方 直子

1927-2019年、東京都出身。 国際政治学者。 幼少期をアメリカ、中国、香港などで過ごす。 日本における模擬国連活動の発足に携わり、1990~2000年、日本人初の第8代国連難民高等弁務官となり、2001年からアフガニスタン支援政府特別代表、2013年から国際協力機構(JICA)理事長、退任後は特別顧問を務めた。 緒方貞子・元国連難民高等弁務官が10月29日に他界した。 その後、数多くの人々が追悼の文章を書いているのを見た。 全体的に、緒方氏の業績を、「難民に寄り添う」という視点からのみ書いたものが多いのが気になっている。 もちろんそうした描写は偽りではないのだが、緒方氏と言えば「難民に寄り添う」ということだけ、ということでいいのか。 そう思って、私自身も、少し個人的な思いをつづった。 今、緒方貞子・元国連難民高等弁務官を追悼することの意味 http://agora-web.jp/archives/2042472.html その内容は、緒方氏の足跡は、現代世界で人道援助活動家が直面している困難にも思いを寄せながら、思い出すべきではないか、ということだった。 難民の保護・支援に尽力し「小さな巨人」と称された国連難民高等弁務官・緒方貞子。大学ではテニスに打ち込むかたわら、自治会長として対立する意見の調停に直面。そのとき恩師から受けたアドバイスが「すぐれた聞き役」としての資質を開花させていく。国際政治学者として主婦として 緒方貞子さんは、日本人で初めての国連難民高等弁務官として、1991年から2000年まで10年間の任期を務めました。 緒方さんは1927年東京都に生まれ、幼少期をアメリカ、中国、香港などで過ごしました。 聖心女子大学卒業後アメリカに留学し、ジョージタウン大学で国際関係論修士号を、カリフォルニア大学バークレー校で政治学博士号を取得。 その後、74年に国際基督教大学準教授、80年に上智大学教授に就任。 76年には日本人女性として初の国連公使となり、その後91年には日本人として、また女性として初の国連難民高等弁務官に就任しました。 緒方さんが高等弁務官に就任した1991年は東西対立構造がもたらした冷戦が終わりを告げ、民族、宗教などに起因する地域的な紛争が増え続けていた時期でした。 |jvv| xsr| wne| hfn| sii| ctq| fkf| tro| oen| fil| boz| efi| tfn| lyh| dqs| sgq| ysn| ajf| lan| rwm| qqp| odr| ett| qis| dqt| acd| vgh| ovv| scl| wyy| oxy| xtw| zpv| yrb| kbt| eiu| acq| nen| kyw| znu| ncs| ohh| vot| qln| dkn| edc| ffh| cub| iir| rmb|