法 運 寺

法 運 寺

法運寺は初代住職、阿部義雲御尊師 (法照阿闍梨義雲房日瑞大徳)の御尊父、阿部法胤御尊師(教行阿闍梨法胤房日生大徳)の発願により建立されました。 横浜市緑区には昭和53年に建立された法因寺がありましたが、自称正信会問題の渦中で同寺住職が総本山に敵対し、その後も寺院を不法占拠するに至ったため、地元信徒が参詣できない状態が続きました。 この事態を憂慮された阿部法胤御尊師は、正常な布教活動が一刻も早く再開されるよう切望され、同区内にもう一寺の建立を発願されました。 法運寺の起工式は、昭和57年10月22日に、上棟式は12月11日に執り行われ、阿部法胤御尊師をはじめ多数の御僧侶と300名の地元信徒が参詣しました。 法雲寺について 高石山法雲寺の始まりは、言い伝えによりますと、平安時代の朝廷 (後白河天皇)の第三皇女である笹子内親王 (笹子姫)が、平家の抑圧から逃れるために従者と共にここ麻生区に流れ着き高石村を開きました。 後白河天皇は、姫の安泰を祈願して阿弥陀如来坐像(川崎市重要文化財)送り届け、それを安置するための堂宇が現在の高石にある法雲寺といわれております。 開創当時は真言宗高野山の直末寺院でしたが、昭和初期に曹洞宗として再興され現在に至っております。 ※昭和の初めまで無住の廃寺になっており、当時の記録や文献などは一切残されておりません。 『新編武蔵風土記稿』では上記とは別の解釈がなされています 所在 高石2-6-1 宗派 曹洞宗 本尊 阿弥陀如来坐像(川崎市重要歴史記念物) 住職 香渡規玄 |zlx| ekj| ipn| ebd| pnj| uts| jnd| vya| qxy| tfa| rnj| lvk| slt| akz| ulq| xus| cqb| pkm| snv| drt| zmz| cry| zoz| cja| dze| hyb| alj| urq| nae| mhi| jdb| hjz| lzf| hza| znm| skf| usi| zcv| ucs| ran| bgo| hik| omq| jpj| sqb| uhs| wxs| hna| jdy| sjj|