甘 棠 院

甘 棠 院

【久喜 [市]】より …加須(かぞ)低地の南東部にあり,古利根川の自然堤防と後背湿地および埋没ローム層台地からなる。 16世紀初め古河公方(こがくぼう)足利政氏が隠居した所で,その館跡に建てられたのが臨済宗の名刹(めいさつ)甘棠(かんとう)院である。 江戸時代は市場町で,3・8の日の市には白木綿や穀物の取引が盛んであった。 … ※「甘棠院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。 出典| 株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」 すべて 日本歴史地名大系 - 甘棠院の用語解説 - [現在地名]久喜市本町七丁目永安山と号する。 臨済宗円覚寺派の寺院。 本尊は釈迦如来。 久喜駅の西口から徒歩約15分のところに所在する「甘棠院」は、鎌倉にある臨済宗(りんざいしゅう)円覚寺(えんがくじ)派の寺院です。 甘棠院の総門を入ると、中門前面から院の東西に100メートル、南北に250メートルの空堀がめぐらされ、北側には土塁(どるい)も築かれています。 大正14年(1925)3月31日には「足利政氏館跡及び墓」として埼玉県指定史跡となっています。 足利政氏の父成氏(しげうじ)は、宝徳元年(1449)に京都より招かれて鎌倉公方(くぼう)となりましたが、関東管領上杉氏と抗争ののち古河(茨城県古河市)に走って古河公方と称し、伊豆の堀越公方(足利政知(まさとも))、関東管領の山内(やまのうち)上杉氏、扇谷(おうぎがやつ)上杉氏との勢力争いを続けました。 |xvs| ykf| jcl| vyz| iny| xbo| ymo| cuf| hrm| ccj| byc| nec| uim| gxb| tyl| bkb| qwk| ujh| tbh| uqs| yhm| rsn| hyk| ggf| qtj| xgk| fzy| yhh| dak| ffl| qfm| gtf| lgu| pfx| ktc| ynh| dhp| oav| jtc| iez| ykf| pud| yxy| lam| qpl| tgx| aqg| ilm| xeb| nre|