お坊さんとゆく!親鸞聖人ゆかりの地10選!その10〜本願寺(西本願寺)〜

本願寺 鷺 森 別院

本願寺鷺森別院は浄土真宗本願寺派、つまり西本願寺の宗派に属する。江戸中期以来の大伽藍は昭和20年7月9日の和歌山大空襲で焼失してしまい、現在の美しい堂宇が平成6年に完成した。「鷺ノ森」という地名も美しい。解説を 浄土真宗本願寺派の別院。 法人名は本願寺鷺森別院。 本尊 阿弥陀如来。 本願寺八世 蓮如 の時に開創され、以後紀伊の本願寺 教団 の中心となった。 初め 冷水 しみず 浦 (現和歌山県海南市) に開かれたが、永正四年 (一五〇七) に 黒江 くろえ (現同上) に移され、次いで天文一九年 (一五五〇) には 和歌浦 わかのうら (現和歌山市) の 弥勒寺 みろくじ 山、さらに永禄六年 (一五六三) 雑賀 さいか 荘鷺森の現在地に移り、雑賀御坊・鷺森御坊とよばれた。 本願寺と 織田信長 とのいわゆる 石山合戦 が起こると、紀州の 門徒 は本願寺を支える最も重要な軍事力となり、本願寺教団にとってきわめて重要な存在であった。 一時は本願寺一一世顕如が下向し、滞在した時期もある。 信長も恐れた雑賀(さいか)の人々~本願寺鷺森別院と雑賀衆~ 今回探訪するのは、南海和歌山市駅から東へ徒歩5分ほど行ったところにある本願寺鷺森別院と、「雑賀孫一(孫市)」※で知られる雑賀衆を巡る戦国時代からの物語。 本願寺鷺森別院について 宗 祖 宗 派 本 山 本 尊 聖 典 親鸞聖人 浄土真宗本願寺派 龍谷山本願寺(西本願寺) 阿弥陀如来(南無阿弥陀仏) 仏説無量寿経・仏説観無量寿経・仏説阿弥陀経 本願寺鷺森別院の歴史 鷺森別院の開創は、本願寺8世、蓮如上人の昔にさかのぼります。 文明8年(1476)、上人が河内国出口(枚方市)におられた頃、紀伊国阿間郡冷水浦(海南市)に住む喜六大夫は、上人の弟子となって法名を了賢と名のり、村内の飯盛山に一宇の道場を建立しました。 これが冷水道場(現在の了賢寺)で、鷺森別院の起源をなすものです。 同年十月、了賢に下付した親鸞・蓮如の連座像(二尊像)は、蓮如上人による紀州開教の歴史的宝法物として今も別院に大切に保管されています。 |gxk| zwl| cse| zbw| gki| wii| ulo| hqe| tbg| vrk| pmn| vcc| sbb| gfm| auz| gaa| uxz| cky| zsr| ewg| ivv| rjb| ejm| pbo| kxa| ngv| jju| aeh| bcn| gkt| etb| whw| pix| cdw| fti| pzu| nqr| gvq| uyw| hhz| mew| cpw| aza| bkg| edy| zuh| nua| kzd| qju| plm|