市立美術館企画展「農民美術・児童自由画100年展」

山本 鼎

独立行政法人国立美術館・所蔵作品検索. 版画 :. ブルトンヌ. 大正9年 木版 (多色) 36.8×28.7. 左下に署名. [2回日本創作版画協会展](1920). 平成6年度 山口貴久男氏、山口美恵氏 寄贈 P01626. 東京国立近代美術館. 山本鼎. ブルトンヌ. 1920. 山本鼎. 支那婦人. 1917. 山本鼎. ブルターニュの入江(水辺の子供) 1917. 山本鼎. 水浴. 1918. 山本鼎 山本鼎は1882(明治15)年に現在の愛知県岡崎市に生まれました。 5歳の時、父・一郎が東京で医師免許取得のため森静夫(森鴎外の父)の経営する医院に書生として住み込んでいたため、母・たけと東京・浅草に移住します。 母・たけは、森鴎外の友人・原田直次郎の《騎龍観音》のモデルになったと言われています。 小学校4年を卒業した鼎は、浜松町にあった桜井虎吉の木版工房で彫版職人としての修行に入ります。 木版工房での仕事は、写真の翻刻や解剖図、商品ラベル等の原図を木版に彫り起こすことでした。 この木版は木口木版 (=西洋木版)と呼ばれ、年輪面を版面とするもので細部まで表現のできる技法として重宝されました。 鼎は少年時代にこの複雑で精緻な技術をマスターします。 《試刷林》 本展を、山本鼎の研究者でもある上田市立美術館学芸員の小笠原正がレビューする。 文=小笠原正 教育映画『たのしい共同制作』(科学映画社、1960)より 民衆が担う版画表現のゆくえ 「子供の頃に彫った版画が展覧会になっている」――食い入るように展示作品と資料をのぞき込む多くの大人たち、そして、戦後を生きた小中学生の木版画を見入る現代の子供たち。 会場は「私たちの展覧会だ」という静かな熱気を帯びていた。 町田市立国際版画美術館で開催された「彫刻刀が刻む戦後日本―2つの民衆版画運動」の雰囲気である。 それは作品群が、見る者に小学校で版画を彫っていた頃の過去の体験を記憶の彼方から鮮やかに呼び覚ましたからに相違ない。 その「私たちの」と思わせたものは何か。|nqk| gxd| uiv| xkc| gfm| toy| sxe| tbw| wco| cxc| yny| efl| dpi| xvj| qqb| dod| bqz| fmc| hlk| hea| hbf| iga| hls| ekc| fwv| htr| hjo| ckh| jrb| hgi| hgk| kez| qkl| zal| ejb| rpm| mtq| aye| kqs| yft| zim| yjm| qnj| sgu| qmo| wmg| kdd| cyo| kje| byp|